日記2025-02-08 : 言葉が意味を失ったんだ

AI要約

ロジックは世界観=前提条件から演繹されるため任意の主張を正当化でき、言葉は本質的に無意味である。真に問うべきはロジックではなく背後の世界観であり、それゆえ「話し合い」と「力の行使」の選択が問題となる。

口先だけであればなんとでも言える自信がついてきました。任意の主張を支持するか、支持しないするか、理由をどうとでも述べられる能力がついてきたのだと思います。

ロジックは世界観から演繹されています。賛成のロジックの中で、あるいは反対のロジックの中で、世界観を矛盾なく築き上げれば良い。世界観がロジックとなり、人の行動を決定する作用を働かせるのが実態です。「ロジックで説得するのではなく、ロジックを生み出す世界観を持って説得する」ーこの視点は、成果の高い営業マンの話し方を観察して、最近自分で編み出した視点です。世界観は前提条件で決まります。世界観=前提条件と言っても良いでしょう。大事なこととして、前提条件がロジックに現れることはありません。

理由はロジックであり、前提条件から演繹されています。であるならば、真に突き詰めるべきはロジックではなく、ロジックが基づく世界観のはずです。しかしほとんどの人は理由=ロジックだけに注目し、ロジックの前提条件に重大な齟齬があることを見逃してしまいます。気がついていたとしても、注目することは難しいでしょう。なぜならば、世界観は宗教的・哲学的な観点を多分に含むからです。「無難な話題」の対局である、大いに宗教的・大いに哲学的な議論をする能力と気力があるでしょうか?

重大な結論が出てきました。議論を「円滑に」(自分が意図する通りに)進めるためには、世界観の部分に工夫を入れれば良いのです。議論の参加者は鈍重な議論を避けようとして、世界観の部分にツッコミを入れてくることはないでしょう。あるいは、気が付かないかもしれません(私が試して見た限り、この方法はかなり有用でした。あまりに有用すぎたので、今はこの方法を可能な限り使わないようにしています。)

では、言葉の意味とは何でしょうか?私には何が何だかわからなくなってしまいました。どうとでも言いようがある言葉の世界に、意味はあるのだろうか?任意に操作可能な論理体系は、任意のロジックを表現可能です。つまり、何も意味もないのです。どうとでも言えるのであれば、何も言っていないのと同じです。

言葉の対局には「力」があります。持っている力を行使し、現状を変えることは、明らかに言葉の対局にあるでしょう。「話し合い」と「力の行使」の2つの選択肢がある中で、どちらをどのような理由で選ぶのかを検討する必要があります。