経済学的な理屈で言えば、企業の利益の源泉は参入障壁だ。他社が真似できない技術力、確立された製造プロセス、設備投資の大きさ、法制度に基づく独占などを通じ、他社が参入できない業務を行える企業は高い利益を創出できる。一方で、参入障壁の低い領域で業務を行うために競合が多数存在する経済的主体は、高い利益率を維持することは難しくなる。利益率を削り、他社の売り上げを奪うことが可能だからだ。

AI(特にコーディング用AI)の発展に伴い、先進的な企業のほとんどがコーディング用AIを用いるようになった。僕はコーディングが好きなわけではなく、モノを作って価値を届けることに重点を置いていたから、AIの利用自体は歓迎している。しかし冷静に考えてみると、自分が資本主義社会において分の悪い効率化をしているような気がしてきた。労働集約産業における業務効率化に意味はあるのだろうか?

  • 資本主義の理屈で言えば、企業は利益を生み出すために存在する。利益の源泉が労働であるとは限らない。資本を用いて利益を創出することは一般的だ。
  • コーディング能力が陳腐化した現状では、ソフトウェア産業は単純な労働集約産業になってしまっていないか?今の自分の仕事が労働集約型の業務になっているのはなぜだろうか?
  • ソフトウェア産業が労働集約型産業になってしまったとしよう。そのことが意味するのは何だろうか?低い参入障壁、過酷な企業競争、そして低い利益率:この産業に未来はあるのだろうか?

パイオニア、フォロワー、コモディティ、コモディティの先には一つのプロセスとして組み込まれる未来がある。この変化の過程は、利益率の減少の過程として捉えることができる。電子卓上計算機やメインフレームの普及前、第二次世界大戦中に弾道計算を行っていた女性の計算手たちはどこに行ったのだろう?今の我々はどこにいるんだろうか?

「うちの会社はAIを全然使わせてくれない」と嘆くエンジニアの友人がいる。AIを使わずに利益を上げられるような企業を羨ましく思う。少なくとも労働集約産業ではないということだ。労働の効率化をせずとも、利益があるのは素晴らしいことだ。